一番辛かった時の症状を話そうと思う
これはまだ 不安症とか 恐怖症を目に見えて分かるような状態じゃなかった頃の話

まず 私の家庭というのは 父親がアルコール依存の気が出てて 尚且つ肉体的虐待を受けていた様子がある
母は ネグレクトを受けていたようである

それでもって 母の依存的な体質で 依存する事での支配というのと
父の主従関係を作るという 自分の価値を見出したいという
お互いの 支配と依存関係が 相互関係しあうことで
入れ替わったりする事で お互いの 自分の自信のようなものを補っている夫婦だった

家が貧乏になっていくに比例して 夫婦仲は悪くなっていたように思う

それでも お互いの所有物的な価値 をお互いが見出し補完していたわけだから
失いたくなかったんだと思う

それで 私は なんというか 普通の思考ができなくなっていったように思う
毎日怒号が聞こえる家族だったから。

ちょっとした自分のわだかまりや抵抗感があだになって
いじめが起きたりしたのがあった

まず出始めた症状として 脇見恐怖症 その後
そしてとにかく 話すのが怖いという感じの感覚を感じ始めた
脇見恐怖症のせいで 目つきがにらんだような感じになってしまったのもまずかった

それで 笑いたくない時に笑って
笑いたい時に笑えないという 逆転現象がおき始めた

そして問題はここからだった

「人間は本当にまずい時 自分がそれだけ危険な状態に陥っているとは気付けない」
「自分がまずいと気付けている時は まだ客観的に見れているときなので まだましなのだ」

自分の頭の中で架空の世界を創って そこに逃げ込むようになった

だからそれを頻繁にしていたころは 記憶がかなり落ちている

何でも優秀に出来る自分と 自分という それを守ってくれる相手 という世界を創る様になった
(この頃の理想の自分=そのときの自分の正反対の自分をつくって現実逃避した)

単なる架空の世界を想像してる部分ならまだよかった

だんだんその 空想 妄想にふけっている時間が長くなり
生活に支障をきたすようになる

それで 現実と 妄想の区別がつかないような 感覚に陥るようになった

自分の体を触っても どこか鈍いような 離人症 見たいな症状が出始めた

それでだ

その私を守るもう一人が 現実世界で 私の頭の中で 「こうしちゃえば?」「ああしちゃえば?」
というような命令を出すようになった

物を壊す とか 人を傷つけるとか

一般的にいう「悪いこと」だね を命令するようになった

自分で ちゃんと意識があったし 二重人格といったようではないと思うんだけどね

で その意識というのは 今思うと 「自分の深層心理の自分」だったんじゃないかなと思う

なぜなら あのころは 「大人にとっていい子である事」を必死でやっていたから 半無意識で。

「抑圧された悪い子」それがあっちだったんじゃないかね。

で 一人になったり 辛くなるとその妄想タイムになるんだけど

自分ひとりの時は どうも 「それ」 との会話が声に出てるらしいんだけど
にらんだような うつろな目で 一人で ぶつくさ喋ってた って姉に言われた

その顔がとっても怖い顔なんだと。 その目つきが 外でも出るから
余計苛めは酷くなったね。

で 私はその妄想上のもう一人に しょっちゅう頼るようになった

で それに 辛い事をそれに頼って全部背負って欲しかった

だから 「それ」 と 「自分」 との境界線が曖昧になってしまって
自分が奪われるような感じに 侵食されるような感覚を感じるようになってしまった

私は怖くなって 妄想をやめて 

自分を受け入れて それ に頼らないと それに伝えてからは
出なくなったけど。

それが 小学校高学年から 中学卒業までだった。

昔から 空想壁というか 妄想壁があって 今では 楽しむ程度にしているけど。

やりすぎたら それこそ 二重人格になっていたかもしれない

多分 加害恐怖症になったりしたのは
親を殺したいとクラスメートを殺したいと思ったりそうしようとしたことがあるからなんだろうね

今考えるとヤバいなって凄く思う

こんな経験をした人は他にもいるのかな
単純に自分の経験を整理したかった

今考えると 小さい頃から 精神病 のような感じがずっとあったんだろうなと思う

もし同じような経験をした人がいたら聞かせて欲しいです

つたない文章ですが 読んでくださった方
ありがとうございました